踏絵と転び


踏み絵が始まった。市に出された驢馬のように信徒たちは、一列に並ばされた。
「早うすませば、早くここから出られることじゃ。心より踏めとは言うとらぬ。 こげんものはただ形だけのことゆえ、足かけ申したとてお前らの信心には傷はつくまい」
役人はさきほどから踏み絵がたんなる形式だと信者たちに繰り返し教えていた。

キリストがユダに売られたように、自分もキチジロウに売られ、キリストと同じように自分も今、 地上の権力者から裁かれようとしている。

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<踏み絵>

踏む絵はキリシタンに背教の証として聖画像などを踏ませた行事をいい、踏ませる聖画像を踏み絵又は 踏ませ絵、切支丹道具といった。

踏み絵は「長崎港草」によれば、長崎奉行水野河内守が寛永5年に始めたと言うが、その実施された 事例は、寛永8年雲仙地獄におけるものを初見とする。

初めは、転びの証として、また転ばせるために行われたが、後にはキリシタンを摘発するために、 またキリシタンでないことの証として九州地方で毎年、または2年ないし3年おきというように 制度化された。

九州およびその他の地方でも、漂着外国人やそれと接触した人、摘発されたキリシタン、江戸切支丹屋敷の 下僕などに踏み絵を行わせている。

---踏み絵の発案者は誰か---

1.オランダ人説

ポルトガル、スペイン両国にとってオランダ人は日本貿易のライバルであり、 この二国を締め出して日本貿易の独占をはかり、ついに成功したこと、 オランダ人も初めは絵踏をしたということからオランダ人が 絵踏の発案者だという説がある。

2.沢野忠庵説

絵踏を発案したのは沢野忠庵だという説がある。
「この背教者は、足に踏ませてキリシタンを発見するために十字架を寺の屋敷においた。」 とレオン・パジェスは「日本キリシタン宗門史」にのべた。

フェレイラの背教は1633年であって、彼が「聖なる十字架に対してなした冒毒についての報告が行われた」 のは1641年8月20日である。けれどもこの報告や、忠庵が宗門目明としてキリシタン検索に 当ったこと、とくに絵踏道具が、忠庵と後藤了順という二人の転び伴天連方に保管されていたこと などが、絵踏発案者を忠庵に擬する蓋然性を与えたようである。

けれども絵踏は寛永五年(1628年)には始まったと考えられるし、遅くとも寛永八年(1631年) にはカルウァリヨ神父が強要されたのは明らかだから、1633年転んだ忠庵を その発案者とするのは当らない。 ただ忠庵が、絵踏の管理者になり、その制度的発達に大きな役割を果たしたことは否定できないと思う。

3.日本人説

オランダ人、沢野忠庵の二者が発案者ではなく、日本人の創案によるのではないかとの推論も行われている。

「室町時代、一向一揆、法華一揆などの戦争の間に、武将が宗徒を捕えたとき 彼らが持っていた信仰対象を足蹴にして一揆の威勢をくじいたことが有り得ると考えられる」 として、同じ考えによる日本人がキリシタンに対して絵踏をさせ始めたのではないか、 と、越中哲也氏は「教育長崎」(昭和36年1月)に書いた。

結局、非常に関心を持たれながらも、絵踏の発案者は誰なのか、ということについての 決定的資料は今日まで発見されていない。

---踏み絵の日の賑わい---

踏み絵の日は、男も女も礼装または晴着をつけた。
長崎丸山町の踏み絵は正月8日であった。今日を晴れと化粧し着飾った遊女たちがそれぞれの店に 居並ぶ中で、役人は遊女の源氏名を読み上げる。遊女は次々に立ち上がって、右の素足で踏んだ。 遊女の踏み絵見物が、その日の呼び物にもなった。丸山には人々が雑踏し喧嘩になることもあった。

踏み絵の日に衣装を着飾ったのは、一つには多くの人出があり店も立ってお祭りムードにつつまれたこと。 二つには踏み絵役人に対する敬意によるものであったのではないかとされている。しかし、踏み絵行事 すなわち、キリシタン検索の厳しさを意識させるための、為政者の意図ともされている。

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<ユダ>

自分の転びの罪を、人にも犯させて類を呼ぼうとした者、そのような転び者を"ユダ"すなわち "キリシタン目明かし"と称している。その心理は拷問と死にたいする人間の弱さと、懸賞金に対する 欲望のほか、類を呼ぼうとする人間の哀しさ...故のものであると...

同心手付けの者たちが、自分が利用している「目明かし」を保護したように、「ユダ」たちも役人 に保護されていた。その中でも権力と富を持った人たちは、キリシタンにとってもっとも大きな損害を 与えながら、「ユダ」として軽蔑されることなく、権力の座に安座していた。

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<地上の権力者>

彼らは銀30枚ではなく権力と富の代償として自己の良心を売り、キリシタンを摘発した。 長崎代官末次平蔵、幕府の宗門改役井上政重、また有馬直純のような背教大名はそのゆうたるものであった。

正に、昨今の大蔵、厚生官僚の腐敗した一連の買収汚職事件はこれにも劣る最も人間として恥ずべき行為である 。(魂を売った人間は私はもう人間ではないと思う)

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